大秋(おおあき)城

2015年9月23日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市中村区大秋町

 

◆交通:

 

◆歴史:

那古屋城主であった那古野(今川)氏豊の配下で大秋十郎左衛門の居城と伝わる。

昭和61年に建てられた城跡碑には下記の文言が記載されている。

 

尾張徇行記載日大秋村之條

織田真記日

其後某令所属荒子城絶熱田与清須之路

米野大秋二城絶清須那古野之路

而略奪公充厨田篠木三郷

今按古城志不載大秋城墟 云々

 

以下、歴史背景を付け加えながら理解できる範囲で意訳してみた。

 

文政5年(1822年)に樋口好古によって書かれた尾張徇行記録(※注1)の中の大秋村の欄は、織田真記(※注2)に書かれていた事から転記している。

織田信長と弟の信勝(一般的には信行)との間で起こった家督相続争いに際し、清洲城を抑えた信長に対して、那古屋城を本拠とし、弟の信勝を支持する林秀貞、林通具兄弟は荒子城の前田利昌に対しては謀を用いて行動を封じ、さらには米野城の中川弥兵衛と大秋城の大秋十郎左衛門によって清須城那古野城の間を遮断したうえで、信長の蔵入地である篠木三郷を略奪した。

これに対し、信長は佐久間盛重に命じて小田井川(現在の庄内川)沿いに名塚砦を築かせて信勝勢と対峙した結果、稲生の戦いが始まり、信長の勝利に終わる。

しかし、今(尾張徇行記を書いている文政年間)古城誌を見直しても、大秋城に関しては載っていない。

 

※注1:

尾張徇行記は尾張藩に仕えた樋口好古が藩内を廻り、村の歴史や境界線、人口や租税額などを記載した書物である。

※注2:

織田真記は織田信長の弟、有楽斉長益の子孫である芝村藩4代目藩主の織田長清が信長の事についてまとめた記録である。

 

◆現在:

大秋八幡社境内に城址碑が立っているのみで、遺構などは存在していない。

かつては堀があったと伝わっているが、宅地造成の流れで埋め立てられたと思われる。

境内に句碑があり、すぐ脇には井戸の跡と思われる物があるが、句碑にある井戸なのかも判っていない。


境内にある句碑

廃城となった後も城内の井戸からは清水が湧き出ていた。