大喜東北(だいきとうほく)城

田光神社本殿に掲げられた守部宿禰に関する記述の末尾に、五郎丸屋敷の記載がある。

 

2017年2月5日撮影


◆別名:

五郎丸屋敷

 

◆所在:

瑞穂区豊岡通

 

◆交通:

 

◆歴史:

熱田神宮の東1.5km程の地にある城跡である。

城跡より200m程西にある田光神社の由緒板などには、神社の由来と共に五郎丸屋敷の記載があるので、ここに転載したい。

 

●田光神社

延久元年(1069年)に熱田神宮の守部彦正(大喜氏の祖?)が八幡社を勧請し社を建てたのが始まりと傳えられ、熱田大宮司の配下に属していた(原文抜粋)

 

●五郎丸屋敷

大喜地内に防の山とゆう地があり代々守部氏の屋敷跡と傳えられ現在豊岡通りの天理教がそれでありこの地に森部姓多く皆この子孫と云う(原文まま)

 

これとは別に、張州府誌によると、大喜東北城主には岡本久治の名前を見る事ができる。

 

岡本久治に関しては不詳だが、尾張岡本氏を調べてみると、熱田神宮の神官家に属している氏族で、末裔には織田信孝(信長の三男)の家老で、後に伊勢亀山城主となる岡本良勝が存在する。

 

また、城の東側には旧鎌倉街道が通っており、これらの事を考え合わせると、熱田神宮の東側を支配し、街道を監視する役目を持った大宮司の一族が配された城館であったと思われる。

 

◆現在:

天理教東愛大教会の近辺が城跡と伝わる。

協会の東側の道200m程北側に城主の岡本久治の墓と伝えられる石碑が残されている。


城跡近辺に建つ天理教東愛大教会


田光神社の由来板