下之一色(しものいっしき)城

2018年1月26日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市中川区下之一色町権野107

 

◆交通:

 

◆歴史:

天正年間(1573年~1592年)に前田与十郎種利が築いたと言われているが、文明17年(1485年)に前田与十郎利治が城主だったと言う記録も残されている。前田利家を輩出した荒子前田家とは別系統になるが、代々与十郎を名乗るこちらの家系が本家筋とも言われている。

 

前田種利は蟹江城主佐久間正勝、子の長定は林秀貞、通具の与力として織田家に従ったと言われている。弘治2年(1556年)稲生の戦いで林通具が討死すると、前田城荒子城、下之一色城など与十郎家が支配した地は織田信長によって一旦は没収され、前田利春(前田利家の父)に与えられたが、利春配下として下之一色城に在住。本能寺の変の後は織田信雄に仕えた。

 

天正12年(1584年)羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康との間に小牧長久手の戦いが起こると、滝川一益の手引きで前田長定は秀吉陣営に寝返り、蟹江城から佐久間信辰を追放して籠城したが、織田・徳川連合軍の前に蟹江城は攻め落とされ、長定は討死を遂げた。
長定の息子である長種は下之一色城を守備していたが、織田・徳川連合軍の勢いに押され開城降伏。加賀の前田利家を頼って落ち延びたと伝わる。
 

◆現在:

正色小学校の東門脇に城址碑が立てられているのみである。