戸田(とだ)城

戸田城の北東に位置する八幡社

 

2018年1月26日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市中川区戸田1丁目1107

 

◆交通:

 

◆歴史:

康和年間(1099年~1104年)に平季政が築き、その後、正親町三条公治の子、実興が尾張に下向し、その子、実光の時に戸田氏を称したと寛政重修諸家譜に記載されており、後世に田原城を中心として三河湾一帯を支配した三河戸田氏発祥の地となった。

 

鎌倉時代は、戸田信義が地頭として一帯を支配。南北朝時代に入ると戸田宗忠が宗良親王に供奉し、南朝方として信濃を転戦したと伝わっている。宗良親王の子である尹良親王は駿河・上野などを転戦し、奴野城主の大橋定省を従えて諏訪から南下し、途中で尹良親王は討死するものの、嫡子良王君は津島にたどり着いたと言われている。

 

文安年間(1444年~1449年)に正親町氏の領地があり、代官を務める上野へ城を築いて本拠地を移し、その後、田原城へ入場して一帯の支配権を確立していく事になる。

 

◆現在:

天満社と八幡社の間にある一帯が城跡と言われているが、宅地化され遺構などは存在しない。