榎津(えなつ)城

城跡に建つ津島社

 

2018年1月26日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市中川区富田町榎津字郷中

 

◆交通:

 

◆歴史:

康正2年(1456年)に記された造内裏段銭並国役引付に武田(長田)兵庫右衛門の名前を見る事ができる。尾張武田家は代々海津郡一帯の新田開発を行い、庄屋として年貢の取り立てなども行ってきた豪族である。兵庫右衛門と尾張武田家の関係は明らかではないが、おそらく一族だったと思われる。

 

尾張誌には『榎津村 文和3年(1354年)4月23日熱田神領目録に愛知郡榎墓郷とあるは此處なるべし。昔は愛智郡の内なりし地也隣村江松と殊に近く、わづか八町計り隔たり昔は一村なりしを後世二村とし、えなつえまつによびわけし』と記載があるため、村落自体は室町時代前期よりあった事が判っており、庄内川と日光川に挟まれた一帯を武田氏が支配していたと考えられるが、その後の榎津城に関する書物は無く、詳細は不明である。

 

◆現在:

津島社一帯が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。

なお、現在『榎津』は『よのきづ』と読ませているが、城があった当時は『えなつ』(その後『えのきづ』)と呼ばれていたため、ここでは城名もえなつ』と読ませている。