戸部(とべ)城

住宅地の中に建てられた城址碑

2015年6月21日撮影

 

※2016年4月に富部神社へと移築されている。


◆別名:

笠寺城 : 松本城

 

◆所在:

名古屋市南区戸部町3丁目

 

◆交通:

 

◆歴史:

城主は戸部新左衛門政直とされる。

碑の文章を見ると、今川氏の家臣で戸部の地に城を構えて戸部氏を称するとあるが、最初は織田信秀の家臣であり、信秀が病死した時に鳴海城の山口教継や沓掛城の近藤景春らと共に今川へ離反し、今川義元の妹を娶ったとされる資料もある。

 

いずれにしろ織田信秀の死により、織田方から今川方へ寝返った事は確かで、寝返った際には戸部城の700m程南にある織田方の寺部城主である山口重俊が攻め寄せてきたが、これと戦い敗死させている。

 

今川氏に寝返ったため、織田信長の策謀により今川義元の手によってで殺害されたと言う資料も有る事から、同じ経緯で死んでいる山口教継と同一人物とみる向きもあるが、こちらに関しては、山口教継の父子は桜中村城主の山口教房で、山口氏は鳴海城から桜中村城に渡る一帯を支配していた事から、戸部政直も山口氏の一族かもしくは関係の深い人物であり、山口教継、教吉父子と共に信長の策によって同時期に今川家で殺害されたと考えた方が良いと思われる。

 

◆現在:

城址碑から400m程西側一帯が城下町となっており、この近辺が城跡だったと思われる。

住宅地の中に城跡碑と共に戸部新左衛門の碑が祀られている。

 

※2016年には、城跡から北へ500m程に建つ富部神社境内に移設された

 

なお、戸部新左エ門の墓自体は、豊橋市柱町の共同墓地の一角にあり、近くには松平元康(後の徳川家康)が今川氏を離反した際、今川氏真が人質だった十三名を処刑しており、この十三名を弔った十三塚(とみもとつか)が存在する。


城主である戸部政直の由来が書かれた碑は、昭和4年に城跡より移設されており、2016年4月に富部神社へ、再度移設された。

 

※写真は住宅地に建てられていた時の物