星崎(ほしざき)城

2015年2月2日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市南区本星崎町本城

 

◆交通:

国道1号線の本地通り3の信号交差点を東に入り200m程進むと突き当るが、そのまま右手に進んだ先に笠寺小学校の南門がある。

南門を登り、門内の右手に星崎城の看板と碑が立てられている。

 

◆歴史:

治承年間(1177年~1181年)に山田重忠が城館を築いたのが始まりとされる。

源頼朝が鎌倉幕府を設立すると、山田荘の地頭となりこの地を離れたと言われている。

 

その後、鳴海の豪族だった花井氏の居城となるが、鳴海城主だった山口教継が織田信長から離反し今川方に寝返った際に、花井氏も信長に居城を没収され、寺部城主の山口重勝が入城した。

後年、重勝の娘が羽柴秀次の側室となったため、秀次が処罰された際に、親族として連座し処刑された。

 

一旦は尾張を支配する織田信雄の領地となるが、信雄の伊勢移封に伴い山口重勝の養子である重政が入城。

重政が初代牛久藩主となった後も飛地として城は存在していたが、茂福城と領地を入れ替える際に廃城となった。

 

◆現在:

笠寺小学校となっており遺構などは残されていない。

小学校の南門の脇、学校の敷地内に碑と看板が立てられているが、目前まで行くには学校に許可を求めて敷地内に入る必要がある。

 

個人的な意見を言わせて貰うと、教育委員会の管轄なのだから、中島砦の碑がある民家と同様、目前まで行けるように工夫をしてもらいたいと思う。