鳥栖(とりす)城

成道寺境内にある碑には鳥栖城跡の記載がある。

 

2016年1月16日撮影


◆別名:

取隅城

 

◆所在:

名古屋市南区鳥栖2

 

◆交通:

 

◆歴史:

応仁の乱の頃に成田時重が築いた城で、室町末期には市場城を中心に勢力を誇る山口盛重の配下となった成田義次の居城となった。

 

義次は主君である山口盛重の娘を娶り、この地域の支配力を強めていったが、織田信秀が死去すると、鳴海城主の山口教継は今川へ寝返り、成田氏もこれに従った。教継は鳴海城へは息子の教吉を置き、戸部城を修復して今川方の岡部元信らを入れて、自分は桜中村城へ籠った。

 

家督を相続した織田信長はこれに対し軍を発して赤塚での合戦となったが、元は味方同士であったため、生け捕りになった者は交換しあうなどして痛み分けに終わった。

 

その後、桶狭間で今川義元が討ち取られる前年、信長が尾張統一を果たした際に鳥栖城は廃城となったとされる。

 

◆現在:

城址は成道寺となっており、境内には城主夫妻の供養塔が残されている。


城主であった成田氏の子孫が奉納した夫婦地蔵