城跡に建つ神明社から北へ300m程の所に位置する了源院には、藤森城と上社城の城主の墓が残されている。
2017年4月9日
◆別名:
◆所在:
名東区本郷
◆交通:
◆歴史:
池田恒興の配下であった小関三五郎が小牧長久手の敗戦後、この地に落ち延びてきて築いた城と言われている。一帯は、高低差が激しい丘陵地帯の中にあり、敗残兵が隠れ住むには適した土地だったと思われる。
三五郎は部下と共にこの地で戦傷を癒し、再興を試みるも、天正17年(1589年)に小牧長久手の戦いで受けた傷が悪化し、死去したと言われている。
◆現在:
東名高速道路脇に建つ神明社一帯が城跡と言われているが、神明社の棟札には貞和3年(1347年)建立と記載があるため、実際には神明社南側の本郷公園一帯が城跡ではないかと思われる。
現在は宅地化も進み、遺構などは残されていない。
神明社の300m程 北側にある了源院には藤森城主小関三五郎の墓と共に、上社城主加藤(賀藤)勘三郎の墓が並んで立てられており、その脇には二人の武将が慰霊を弔うために了源院を建立したと記載された石碑が現在も残されている。