小幡(おばた)城

年月日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市守山区西城

 

◆交通:

 

◆歴史:

大永2年(1522年)岡田重篤によって築かれた城である。

岡田氏は尾張源氏の流れを汲む一族で、先祖をたどると、緒川城の水野氏や足助城の足助氏らと同族となる 。

 

享禄3年(1530年)三河を統一した松平清康は尾張への侵攻を開始し、織田方の岩崎城、品野城などを攻め落とした。

 

天文4年(1535年)には美濃の齋藤道三と示し合わせて、織田信光の守る守山城を攻撃するが、小幡の地で家臣の阿部正豊に殺害される事件が勃発(森山崩れ)する。

これにより、三河松平家は一時的に没落し、小幡城には織田信光が入る事となった。

 

天文24年(1555年)織田信長と敵対する清州城の織田信友を謀殺し、清州城を奪い取った信光は、信長より那古野城から守山城一帯の支配を任せられたが、翌年の弘治元年(1556年)に、坂井孫八郎によって殺害され、小幡城は廃城となった。

 

天正12年(1584年)徳川家康と豊臣秀吉の間に起った小牧長久手の戦いの際、三河への連絡路を確保する目的で、家康の命によって小幡城は修復された。

戦いが膠着状態を迎える中、家康は小牧城から小幡城へ移動。これに対し秀吉も楽田城から龍泉寺城へ軍を移したが、これを見た家康は小牧城へと軍勢を戻している。

 

その後、池田恒興らの敗死をきっかけに、秀吉と織田信雄が和睦を行ったため、名目を失った徳川勢は軍を返し、小幡城は再び廃城となった。

 

◆現在: