龍泉寺本堂裏に建つ模擬天守(内部は資料館)
2017年2月26日撮影
◆別名:
◆所在:
名古屋市守山区龍泉寺
◆交通:
◆歴史:
龍泉寺は延暦年間(782年~806年)に最澄が建立したとあるが、延暦2年(783年)から同21年(802年)までは比叡山などで修業を行い、延暦23年(804年)から1年間は空海と共に中国へと渡海しているため、弘仁6年(815年)から行った東国行脚の途中での開基ではないかと考えられる。
龍泉寺は庄内川沿いの断崖の上に建ち、濃尾平野を一望できるため、有事の際には軍事拠点として利用される事がたびたびあった。
弘治2年(1556年)織田信行が、柴田勝家らを味方に付けて兄の信長との家督争いを行った際に、龍泉寺を城塞化し、ここを拠点として、城から北へ3km程にある信長の倉入地である篠木郷を略奪しており、永禄3年(1560年)の桶狭間合戦の際は、織田信長が清州城の防衛線として、龍泉寺城をはじめとした庄内川沿いの各城へ部隊を派遣している。
天正12年(1584年)に起こった小牧長久手の戦いの際は、小幡城へ入った徳川家康を討つべく、豊臣秀吉は龍泉寺に入り、一夜にして空堀を築いたと言われている。
現在残されている空堀跡は、この際に掘られた物と考えられているが、秀吉の兵が撤収する際に、本堂などに放火して立ち去ったため、本堂などの建物は後世に再建されたものである。
◆現在:
龍泉寺の東側の竹藪内に空堀や土塁の跡などが残されている。