2015年6月25日撮影
◆別名:
加藤図書助屋敷 : 端城
◆所在:
名古屋市熱田区伝馬町2
◆交通:
◆歴史:
熱田加藤氏の城で加藤図書助が築いたと言われる。加藤氏は現在の名古屋市南東部を中心に勢力を築いた一族で、先祖と辿ると加藤嘉明(賤ヶ岳七本槍の一人)と同族となる。
1547年、駿河の今川義元へ人質として行く事になった松平竹千代(後の徳川家康)は田原城主である戸田康光の裏切りで織田信秀の元へ送られ、この羽城へと幽閉された。
当時は熱田神宮のすぐ南まで海岸線が来ており、海に突き出た小高い丘の上に築かれ、細いあぜ道を封鎖すれば、孤立してしまうような城であった事から端城と呼ばれていた。
なお、碧南市にある大浜陣屋は、陣屋が開かれる前は羽城(こちらは『はね』城と読む)と言う名前が付けられており、家康が縄張りをして築いた城である。後に、家康の嫡男である信康が織田信長に武田氏への内通を疑われた際、家康は碧南の羽城に信康を幽閉している。
◆現在:
埋め立てが進み遺構としては残っていない。
少し前までは白壁の屋敷が残されていたが、今は取り壊され、住宅地の中に城跡の看板が立つのみとなっている。
また、看板の少し南側にある浄覚寺の東側には羽城公園があり、かろうじて名前だけは残されている。
住宅地の中に看板のみが立っている。