砦があった近辺は宅地化され、遺構などは残されていない。
2017年3月27日撮影
◆別名:
◆所在:
名古屋市緑区大高町正光寺峡
◆交通:
◆歴史:
桶狭間合戦前に大高城を包囲する目的で織田信長が作ったとされる砦で『張州雑志』に『大高村の東南五町計りに有り』と記述があるのみ。
鷲津砦、丸根砦のように多くの歴史資料には記載されてはおらず、位置もはっきりされていないが、大高城を包囲するため、氷上砦、向山砦とともに南方の砦として存在していたと思われる。
一説によれば、小豆坂七本槍の一人である佐々政次が守備したとされるが、桶狭間の戦いの前夜に千秋季忠と共に今川勢に戦いを挑み、討ち死にしている。
◆現在:
大高中学の南西部に正光寺と言う字名が現在もあり、この一角に砦があった可能性が高い。
おそらくは正光寺と言う寺社があったと思われるが、現在は宅地化も進み、遺構はおろか寺があった形跡も残されていない。