寺部(てらべ)城

2015年6月21日撮影


◆所在:

名古屋市南区笠寺町天満

 

◆交通:

 

◆歴史:

市場城主山口安盛の弟である山口盛重が築いた城。山口氏は大内義弘の次男、持盛を始祖とし、尾張へ移ってきて以来、鳴海城から桜中村城にいたる尾張南部一帯を支配していた豪族で、寺部城から北に2キロ程にある鳥栖城主である成田氏に娘を嫁がせるなど、婚姻政策により支配を深め、織田方の南方を守る豪族としての立場を固めて行った。

 

盛重の跡を継いだ息子の重俊は、周囲の諸城が今川方へ寝返るという状況が不利な中、織田信長の命令で今川方へ寝返った戸部城主の戸部政直と戦い戦死。寺部城山口氏は衰退していく事になる。

重俊の息子重勝は織田信忠に仕え、本能寺で信忠が討ち死にすると弟の信雄に仕えて星崎城を攻略して本城とした際に、寺部城は廃城となった。

 

その後、重勝の養子重政は信雄が豊臣秀吉が小田原攻めを行った際の論功行賞を信雄が拒否して下野へ流罪となった際にはこれに同行するなど、仕えた相手には愚直なまでの忠誠心を抱く一族だったと言われている。

 

◆現在:

愛知県内には同名の寺部城が豊田市にも存在しており、それなりに遺構も残されているが、こちらの寺部城は七所神社と隣接する公園となってしまっている。

七所神社を東側から見ると段状になっており、曲輪のようにも見えるが、遺構とは言い切れない。