勘兵衛(かんべえ)屋敷

2018年1月26日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市港区春田野3

 

◆交通:

 

◆歴史:

戦国時代、尾頭城主鬼頭義次の子孫であった義次は織田信雄に仕えていたが、豊臣秀吉によって信雄が追放されると武士を捨て八田村に居を構えた。

 

義次の子孫にあたる景義は寛永元年(1631年)から明暦3年(1657年)までの26年間で尾張から美濃にかけての各所で新田開発などを行い、尾張藩から苗字帯刀を許される身分となり、福田新田開発の際に住居を移し居住し、景義の子孫は代々勘兵衛を名乗ったため、勘兵衛屋敷と称された。 

 

◆現在:

昭和初期までは南陽中学一帯に館が現存していたが、太平洋戦争で大半が消失。

南陽神社本殿裏に消失を免れた長屋門が移築保存されているのみである。