山崎(やまざき)城

安泰寺南側山門の外に立つ電柱に取り付けられた看板

2015年6月25日撮影


◆所在:

名古屋市南区呼続元町

 

◆交通:

 

◆歴史:

蔵人浄盤と言う人物が築いたと言われているが詳細不明の人物である。

 

次に城主となった加藤与三郎は、城の立地から見ておそらく熱田加藤家の流れを汲む人物ではないかと思われる。

もしそうならば羽城の加藤図書助とは同族となり、代を遡れば賤ヶ岳七本槍の一人として有名な加藤嘉明も同族となる。

 

山崎城が加藤氏から佐久間氏の手に渡った時期も不明だが、佐久間信盛はこの地で産まれている事から、室町幕府末期には御器所城を本拠としていた佐久間氏が南下して山崎城を攻略して支配下に収め、こちらを本城としていたと考えられる。

 

佐久間氏は織田氏と主従関係と言うよりは、織田氏に従う有力な豪族の一つであり、信盛と信長の関係も当初は緒川城の水野氏や、大野城の佐治氏などと同様の対等に近い関係だったが、次第に主従関係に変わっていき、佐久間信盛は信長が石山本願寺との抗争に終止符を打つ以前まで、信長の家督相続以前から使える最古参の武将として織田家では重要な地位にいたが、本願寺と和解した後に信盛は高野山へと追放になり、この時に山崎城は廃城となった。

 

◆現在:

安泰寺となっている。

お寺の方に話を聞いたが、遺構となる物は存在しておらず、寺の前に立つ電柱に小さな看板があるだけとなっている。